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2018/04/26 武蔵野公会堂 サンダンス編集版

マーヤ解きというのは何段階かあって、大まかに分けると、認識系とエネルギー系の2種類に分けているんだけど、認識系マーヤは、自分の脳の機能がマーヤになっているということ。トラウマだったり感情だったり、そういうようなものが、セットになっている時はエネルギー系マーヤになっていることが多い。

例えば、認識系マーヤになるときに、どういう症状が出るかというと、まず、当然、神様はなくなる。「金が全てだ」とかいつの間にか思い込んでる。笑)みたいなね、そういう私の状態になっちゃってる。原因は、自分の観念。自分で「これが正解だ。」と思っていることがあるにもかかわらず、それ以外の何か、例えば、他人のアイデアが入ってきたときに、「そうだよね。」と、心の中で思ったり、それに同調したりすることで、その自分の考えでない考えが自分の中に入ってしまう。だから、自分が「いや、神様が大事なんだ。」と、思っているけれど、最近ちょっと金に困っているときに、「いやさ、思想だとかなんだかんだって言ったてさ、俺たちはさ、必要なのは金だから。」なんて誰かが言って、「あー、ほんと確かにそうだよな。」と自分が思うと、その価値観にそうだよなと思った途端に、もうそのマーヤになってる。自分ではシフトしたつもりはないんだけれども、それを受け入れた瞬間に、その考えが自分を支配する力を得ていることになる。これが認識系マーヤ。

僕がよく言うことに、御心解きとマーヤ解きがあるでしょ。マーヤ解きは徹底的な否定なんだよ。御心解きは徹底的な肯定なの。御心解きは、いかにこの自分に起こっている出来事が必然的かと言うことを自分の中に落として行く作業だよね。ここで我々が理解することは、全てが肯定的に捉えられる世界観。だから受け入れるしかない。この自分に起こっている出来事、例えば、ネガティブなことが起こっているとしても「これは御心だから、しょうがない。」と、受け入れる。これがそもそもポジティブなのよ。そのポジティブな捉え方をしたことによって、物事というのはポジティブな方に向かうから。頑張ってポジティブに向かうために、ネガティブな出来事をネガティブではないものに作り変えようとすることは、ネガティブな作用なの。というのは、ネガティブという風に自分の目に映っているという事が、ネガティブだから。これをネガティブなものからポジティブにするためには、こんなことをしなくちゃいけない、こうしたらどうだろう、ああしたらどうだろう、と、やるわけよ。それでは、これがネガティブだっていうことが変わってない。そうしたら、これをポジティブにするためには、どうすればいいのかって言ったら、これがネガティブだという思いを鼻からなくすしかない。これをどうこうするかではなくて、これを受け入れるしかない。これを受け入れることによって、これが勝手にポジティブになってくれる。これをネガティブだという見方をしているから、いつまでたっても結局ネガティブであって、これをネガティブと捉える限り、自分は拒否し続けることになる。これを受け入れた途端に、これがポジティブになるわけ。だから、戦っている限り、そこにはネガティブがあるから、いくらこれが改善されていったとしても、それが改善されているってことだから、ネガティブなのは、少しずつ良くなっているということであって、ポジティブになっているわけではない。ところが、このネガティブなものを忘れてしまうと、どうなるかというと、忘れたということによってポジティブになるということなのね。だから、根本的な捉え方に問題があるかどうかということになるわけ。御心解きにおいては、このネガティブな出来事をポジティブに見るためには、我々からすると、ネガティブな出来事をポジティブに見られる、ちゃんとした理由が必要になる。それが御心になるわけ。「この世界は神の作品であって、私はその神の作品の中で今ここに置かれ、こういう出来事を神が経験させているわけだから、これを受け入れるしかない。」というように受け入れたときに、このネガティブな現象は、ネガティブではなくなってくるということなんだよね。だから、これが御心解きをやっていく時に必要なこと。絶対肯定の上に成り立ってくる物事の見方ということ。

一方、マーヤ解きの場合は、常に絶対否定がある。常に全ての出来事、自分の考え、あらゆるものを、徹底的に否定していく。だから、疑ってかかることなんだよ。人が自分に「こうこうこうだよね。」と言ったときに、「そうだよね。」と同意したら、もうそのマーヤにかかるわけ。だから、「いや、そんなことはない。」と、否定したい。ところが、一々、「そんなことはない。」と、顔や態度に出ていたら、みんなから嫌われてしまうから、「あ、あ、そうだよね。」と、一様、相槌はうったりするわけだよ。その時、マーヤにやられてもいいわけ。そして、家に帰って一人になった時に、「今日、あいつに相槌打ったから、俺マーヤになったんだよな。」ということをちゃんとおさらいしていけばいいわけ。それだけでマーヤが解けるから。だから、相手の考えに乗っ取られない、乗っ取られるというのは、相手の考えに同調しただけでその考えが移ってくるということ。

(別の話題のため、中略)

マーヤの話に戻って、その認識系マーヤとエネルギー系マーヤがあるという話をしたでしょ。その認識系マーヤは、とにかく人のそういう考えだったりとかに「うん。」とうなずいたりとか、同意した途端にその人の考えが入ってくることなの。でも、それに同意しなかったら、不和が生じるから、どうでもいいことだったらそれは同意してもいい、それで家に帰って、ちゃんとマーヤ解きをする。「あ、これはあの人の認識が完全に自分に入ってきて、マーヤになっちゃったんだ。」という風に理解するだけでマーヤは取れるから、元の状態に戻る。そういった形で、認識系マーヤは、他者の考え方や思想が入ってくることで、自分の本来のあるがままの姿が否定されることになっちゃう。もう1つの例を出すと、ラマナ・マハリシは、ここ10年ぐらい、かつてないほど人気が出て、インドの一押しの聖者みたいな感じでいろんな本が翻訳されたりするじゃん。この10年ぐらいで、ワーッとなったじゃない。ラマナの本を読んで、みんな、「ハーっ」て、なるじゃない、と同時に、まだわかってない人がラマナの本を読んでいるから、マーヤにもなっているんだよ。マーヤになったとしても、教えの部分もあり、教えが入ってくるだけまだマシなわけ。どこがマーヤになっているかと言ったら、人間は自分と例えば相手が聖者ラマナであったとしても、ある程度比較しているわけ。だから、ラマナのようになるためには、ラマナができることを自分もできなきゃいけないというマーヤになっちゃう。そうすると、フンドシ一丁で生活しろという話だよ。その時点で断念だよね。日本でフンドシ一丁で暮らしていたら、補導されるから。今日、先生の勉強会があるから、ちょっと吉祥寺まで行ってきました。フンドシ一丁で行ったら、警察に捕まるじゃん。そんなことでビビっている時点で、ラマナになれないわけ。捕まらないじゃなくて、こんなカッコして出歩いたら絶対捕まるに違いないという恐れでダメだという話になるんだよ。それから、食事に対して、白いご飯に唐辛子だけでご飯を食べるとか、ユビニシをつけてご飯を食べるとか、そんなのは、とてもじゃないけど真似できない。ベッドに寝たことなんてない、そんな無理じゃんとなるじゃん。そんなの無理じゃんになったときに、やっぱり自分はラマナにはなれないんだとなっちゃう。そのかかっちゃうマーヤが、実はすごくしつこい汚れで、ミートソースが跳ねたみたいなしつこい汚れなんだよ。だって、結構いい線までいってるにも関わらず、俺のこれがダメだ、あれがダメだっていう否定から、本来、もうわかっていい段階にまでいっているにも関わらず、いけない。僕のところにイオさんという人がいたんだけれど、来て3年ぐらいでわかったの。来て3年ぐらいで、僕が「もういいじゃん。もうわかっていていいじゃん」って、イオさんが、2、3年、「こんなんじゃ、ヤダヤダ。」と言い続けていたわけ。「もうわかっているからこれでいいじゃん」といったら、「いやこんなわかり方じゃ、自分のイメージしていたわかり方と違うから、面白くないからヤダ」と言ってたわけ。3年ぐらい経った時に、突然受け入れたんだよ。あ、もう、これでいいかと思った。これでいいかと思ったら、その後、自分が求めていた悟りの段階に、一気にバーって引き上げられたのね。だから、もうわかっているんだけど、わかったと認めないことによって、本来はこのわかっているという状態、これくらいのレベルの話をしているんだけども、自分でここまで落としていたということなの。受け入れた途端にここまで一気にグッと上がっていくそういう面白い例もあるんだよね。だから、受け入れることで、そのあったものの力というものが、何倍にも膨れ上がるっていうね。例えば、売れない画家の絵を1枚持っていたとして、こんなんじゃヤダヤダと言っているんだけど、その画家がある時死んじゃって、突然何億にもなったみたいな。ちょっと遠かったですか?(笑)「あ、すいませんでした。」と言っているにも関わらず、その後そんな感じとか言って、結局ねじ伏せようとしているね。それが結局、認識系のマーヤなの。

エネルギー系マーヤというは、例えば子供の時や大人になってからでも、すごく怖い思いとか、嫌な思いとかをした時に経験した感情のエネルギーが、自分の中に残るというもの。これが似たような経験をしたときに、バッと浮上してくることが、エネルギー系のマーヤなわけ。だから、このエネルギー系のマーヤは、もっとマーヤ解きができるようになってからでないと、取り組んでいくのはなかなか難しいの。認識系のマーヤ解きが、どんどんできるようになった状態で、過去の怖かった出来事にフォーカスをして、御心を持ってきて、これは自分にとって必要だから起こった出来事なんだということを前提にするわけ。「なんか、そういう憂き目にあっちゃったんだ。」ではなくて、「自分を成長させるために、神様が何かを理解させようと、わざわざ若い時にこの現象を経験させたんだ。」ということをベースに持ってくるの。その目的はなんなのかということを解いていくわけ。エネルギー系マーヤの場合は、認識ではないので、内容がひっくりがえっていることはないのね。マーヤの場合は、内容がひっくりがえってマーヤになっているわけだよ。だから、本当はすごくポジティブなことだけれども、マーヤのせいでネガティブに捉えているというのが認識系のマーヤ。エネルギー系のマーヤはネガティブなの。これをポジティブに変えるには、マーヤ解きではないんだよ。マーヤというのは百も承知だから、どうしたら、エネルギー系のものをポジティブに変えられるかと言ったら、御心しかないの。これはどう考えても認識を変えれば楽になる問題ではないんだよ。マーヤが取れて楽になるのではなくて、これはいかに自分にとって必要な出来事、現象だったかを受け入れることでポジティブなものに変わるの。だから、御心を理解しないといけない。そのかわりは、推測もつかない。結局、もしこの出来事が起こってなかったら、自分はこうなって、こうなっていたら、きっとこんなことになっちゃっていただろうなと。こういうことがあったから、自分はこういう風にものを考えて、行動を規制するようになったことによって、こういう今の人生を歩んできたわけだから、この怖い出来事をしたことによって、行動を規制する、規制した結果がここに繋がってくることを神様がやりたかったことなんだろうなと、いうような推測をしていくわけだよ。だから、今、マーヤ解きとか、そういうものを知ることができて、こういう風になってきているのは、ものすごい神様の恩寵だってことがわかる。そういう風に見ていくと、その出来事はあって良かったことに変わってくるわけ。「それがあったおかげで。」という考え方に変わってくる。「その嫌な出来事があったおかげで、今の自分はこういう風にあることができるんだ。」という考えに変えていくことが必要になってくるわけ。だから、エネルギー系のマーヤには、御心解きというポジティブなアプローチが必要なの。

一方、認識系とか、自分の脳が騙される系というのは、とにかく、「マーヤだ、マーヤだ」と疑っていってマーヤを自分から外していくことをしていくことなんだよね。そういうのが、どんどん経験されていく中で、自分は何もしてないのにブワッとマーヤがなくなったり、「あ、御心だ。」と今のこの瞬間が必然的なものにものすごい思えたりする経験が、人生の中でどんどん起こってくるように、なってくるわけだよ。そういうものがどんどん促進していくと、あとは自動スケジュールになって、どんどんどんどん、いろんなわかるべきことがわかっていくようになってくる。だから、経験も、1つの恩寵として捉えていくといい。

2018/4/26 武蔵野公会堂 編集なし

マーヤ時というのは何段階かやっぱりあって。
大まかに分けると、認識系とエネルギー系っていう風に、2種類に分けているんだけど。認識系というのは、自分の脳の機能がマーヤになっちゃっているということ。エネルギー系マーヤというのは、トラウマだったりとか感情だったりとかそういうようなものが、セットになっている場合はエネルギーマーヤになることが多くて、例えば、認識系のマーヤになると、どういう症状が出るかというと、まず、当然のことながら、神様はなくなる。金が全てだとかいつの間にか思ってる。笑)みたいなね、そういう私の状態になっちゃってる。原因としては、自分の観念、自分がこれが正解だと思っていることがあるにもかかわらず、それ以外のなんか、他人からのアイデアだったりが入ってきたときに、そうだよね。って、心の中で思ったりだとか、それに同調しちゃうことで、その自分の考えでない考えが自分の中に入っちゃう。だから、自分もいや神様が大事なんだって、思っているんだけど、最近ちょっと金に困っているとする。そういうときに、誰かさ、いやさ、思想だとかなんだかんだって言ったてさ、俺たちはさ、必要なのは金だから、なんていって、ことを言われてさ、あー、ほんと確かにそうだよな。って思っちゃった、その価値観にそうだよなと思っちゃった途端に、もうそのあれになっちゃってる。自分では別にその考えにシフトしたつもりはないの。自分ではシフトしたつもりはないんだけども、それを受け入れた瞬間にその考えっていうのが、自分を支配する力を得ちゃっているってことなのね。だから、我々は、僕がよくいうのでは、みこころ解きとマーヤ解きっていうのがあるでしょ。そうすると、マーヤ解きは徹底的な否定なんだよ。みこころ解きって徹底的な肯定なの。で、みこころ解きをしているときって言うのは、いかにこの自分に起こっている出来事は必然的かって言うのを自分に落として行くって言う作業だよね。ここで我々が理解することっていうのは、結局全てが肯定的に捉えられるっていう世界観。だから受け入れるしかないの。もはや。この自分に起こっている出来事。例えば、ネガティブなことが起こっているとしてもこれは御心だから、しょうがない。って受け入れる。ってことがそもそもポジティブなのよ。捉え方として、そのポジティブな捉え方をしたことによって、物事というのは、ポジティブな方に向かうから。これは、頑張ってポジティブに向かうために、このネガティブな出来事をネガティブじゃないものに作り変えようとすることは、ネガティブな作用なのね。っていうのは、ネガティブという風に自分の目に映っているという事は、ネガティブだから、これをポジティブにしたいわけ、だから、これをネガティブなものをポジティブにするためには、こんなことをしなくちゃいけない、こんなことをしなくちゃいけない。こうしたらどうだろう、ああしたらどうだろうってことをやるわけよ。という事は、そいつがネガティブだっていうことが変わってないんだよね。じゃ、こいつをポジティブにするためには、どうすればいいのかって言ったら、これがネガティブだっていう思いを鼻からなくすしかない。これをどうこうするかじゃなくて、これを受け入れるしかない。で、これを受け入れることによって、これっていうのが、勝手にポジティブになってくれるの、受け入れたことで。ネガティブだっていう見方をしているから、いつまでたっても結局ネガティブであって、これをネガティブと捉える限り、自分は拒否し続けるから、これを受け入れた途端に、これがポジティブになるってわけ。だから、戦っている限り、そこにはネガティブがあるから、いくらこれが改善されていったとしても、それが改善されているってことだから、ネガティブなのは、少しずつ良くなっていってるってことであって、ポジティブになってるわけじゃないわけ。ところがこのネガティブなものを忘れてしまうと、どうなるかというと、忘れたということによってポジティブになっちゃうっていうことなのね。だから、その、あのー、根本的な捉え方に問題があるかどうかということになるわけ。だから、御心解きおいては、これをポジティブ、この出来事をポジティブ、このネガティブな出来事をポジティブに見るためには、やっぱり我々からすると、ちゃんとそれをポジティブに見れるっていう、ちゃんとした、れっきとした、あのー、理由が必要なんだよ。で、それが御心ってことになるわけ。それこそ、この世界は、さっき神の作品だって言ったけど、神の作品であって、私はその神の作品の中で、今ここに置かれて、こういう出来事っていうのを神が経験させてるわけだから、だから、これを受け入れるしかないっていう風に、受け入れたときに、このネガティブな現象っていうのは、ネガティブではなくなってくるっていうことなんだよね。
だから、これが御心という、御心解きをやっていく際で必要なこと。とにかく、絶対肯定の上に成り立ってくる物事の見方っていうこと。で、マーヤ解きの場合は、常に絶対否定があるの、そこに。常に全ての出来事っていう、全ての出来事だったり、自分の考えだったり、あらゆるもの、っていうのを、徹底的に否定していく、だから、疑ってかかるっていうことなんだよね。だから、人が自分にこうこうこうだよね、って言ったときに、そうだよね。って同意しちゃたら、もうそのマーヤにかかっちゃうわけだから、いや、そんなことはないって、(笑)ところが、そんなことはないって、一々、そんなことはないって、顔や態度に出てたらね、みんなから嫌われちゃうからね、あ、あ、そうだよね。一様さ、相槌はうったりするわけだよ。マーヤにやられてもいいわけよ、また家に帰ってきて一人になったときに、今日、あいつに相槌打っちゃったから、俺マーヤになっちゃったんだよなって、いうのをちゃんとおさらいしていけばいいわけ。それで、それだけでマーヤって解けるから。ね、だから、相手の考えに乗っ取られない、乗っ取られるって、相手の考えにあれしただけで、同調しただけでそのそれが移ってくるってこと。だから、その効果を逆に利用しているのが、僕だったりとか話のわけなの。
みんなに同調しまくらさせているわけよ、結局、ひどい、ひどい言い方だね。しまくらさせてるって、どんなしまくらちよこかっていう、だから、で、そうそう、そうだそうだ、って同意するじゃない、そうだそうだって、同調するってことは、俺の考えが入るってことなのよ。自分の意識の中に、で、そうなっていくことが自分の意識が、今までの意識と違う方向性に変わっていくことなんだ。だから、とにかく、僕がやることっていうのは、納得させることなの。もう、説得屋さんなの。これで、納得できるように話していくことで、僕の考えが、ああ、なるほどね、とか、そうかそうかとか、思うたんびに、僕の意識っていうのが、ストンて自分の中に入っちゃうわけ、だから、それっていうのは、別な見方をすれば、俺のマーヤを被って、自分がマーヤになったっていう、表現の仕方もできると思うわけよ。自分の本来のものではないっていう、でも、それが入っていくことによって、その、俺のマーヤに乗っ取られることによって、どんどんどんどん、俺化してくるわけよ、ね、俺化してくるわけ、頭が、それが狙いなわけだよ。結局。ただ、これはあのー、洗脳とは違うのね。洗脳というのは、例えば1つのパターン化された映像だったりとか、フレーズだったりとかを繰り返すことによって、相手の潜在意識にある思想だったりとかいうのを埋め込むことで、これ1つの催眠方法なわけね。で、僕の場合っていうのは、とにかく、あのー、必ずなんていうのかな、こう、親父ギャグみたいなのが入ってくるわけ、で、これがね、面白いのはね、洗脳される人、洗脳する人っていうのは、すごいね、シリアスな空間でやらないと洗脳って起こらない、シリアスな環境下でないと、あのね、笑った途端に自分の素が出ちゃうの。笑うと。現実に戻る。ね、だからね、俺、必要以上に笑わすことに命をかけてるわけ。大事なことを言って笑わすと、その潜在意識にはね、あんまり入んないんだよ。だからみんな進歩が遅いの。ある意味。笑)これを俺がもっと閉鎖的な空間で、「私は神です。」とかね、なんかそうやってやって、おー、師匠、って感じに、なればもっと、早いかも知んないよ。笑)ね、ほら、みんな笑ってるでしょ。この瞬間に、笑っているってことで、その潜在意識からの放出が起こってるから、もう、なんていうの、今までのありがたかった話って、全部なかったことになるの。ね、これがね、でも、その、僕がこうやって話すことによって、同調すると、その意識的には、かぶっていくわけだよ。やっぱり、あのー、そのかぶった意識っていうのが、マーヤ解きっていうのを始めていくことに、繋がってくるから、それで、マーヤが解けるように、どんどんどんどんなっていくっていうことなわけよ。だから、これね、なかなかあの、俺は逆にこの辺のニュアンスだったりとかっていうのは、自分が30代、33とか、それぐらいの時に、あのー、30歳の時に修行をやめて、30歳ぐらいから、この世界に戻ってきたときに、いろんな、どういう手法が、あるのかっていうのをね、勉強した時に。ま、ヒプノだったりとか、あの催眠術だったりね、そう言ったものっていうのを学ぶ、機会があったわけ。
で、だから、それを学んだからこそ、その、洗脳とかって、卑怯な手段を使わずにどうやったら、俺に惚れさせるかっていう、あー、もう男らしく勝負しようじゃないかって、拳で語り合おうぜ、みたいな、笑、あれになったんだけど、でも、これっていうのは、僕がヒプノとかを多少なりとも勉強してなかったらわかんなかったと思うの。何かこう、ね、こう、まことしやかな話をしてさ、こうやって、その人に対する、あと、あのー、なんていうんだろう、こう、いろんな脅しを相手にかけるっていう、かけられて、不安になるっていうこと、も、洗脳する1つ、すごく重要なポイントなのね。あなたはこのまま行くと、こうやって、こうなりますよとか、こうなりますよ。そのためには、ツボを買いなさいみたいな、やっぱりそういうような手法と混ぜて、いくわけなんだよ。そういうのっていうのはね、ツボを買いなさいだとかさ、あるじゃない色々、だから、そういうのもそういう、あのー、1つの手法なんだよ。でもやっぱり、そういうのをどうやって回避できるかっていうのを、逆にそのヒプノだったりを通して、人間の精神構造っていうのをわかっているからこそ、逆を行くっていう、そういう方式を取れるわけ。結局ね、洗脳していくでしょ。例えば、生徒とかを洗脳していって、信者が増えたとするじゃん。あくまでも、洗脳されている集団なので、ハタから見たときに、異様なエネルギーを出すの。だから、その異様なエネルギーを出す集団になるっていうことは、結局なんか、マイナスじゃん。それって、おかしい人たちだって、世間から見られるんだから、ね、だから、世間から見たときに、この人たち、超まともだよね、って思われることが一番大事わけ。ね、でしょ、ね。でね、あのー、俺、よく言われるんだよ、この。**の人がこの会の人をみる機会っていうのが、あるわけだよね。例えばそのリトリートとか、そういうのやったりするときにペンションのオーナーだったりとか、そういうような人たち、一般の人たちとかかわるじゃん、その一般の人たちと関わったときに、自分のほら、宿を貸切とか、貸すわけだから、やっぱりどういう集団に貸すのかっていうのだったりとか、すごく、もう彼らからした大事なことになるわけだよね。オーナー側からすると、そうするとね、やっぱり、今までいろんなところでやってきたけどね、あのー、すごく健全な集団に捉えられてるみたい。なんか釣り仲間でも集まったんですか。これから、ワカサギ釣りですか、みたいな。なんかね、なんかそれぐらいの感じ、だから、いいのよ。なんかこう、瞑想したりさ、怪しいことをなんかオームとか言ったりさ、なんか、そういうようなことをする人たちにこう見られてないっていうところがね、そこが1つのポイントだと思う。いかに社会との軋轢をなくすかってことが大事なの。ほとんどの宗教家の人たちっていうのは、自分たちのワールドを作って、その中にこう信者たちを作って、社会から軽蔑されようが、なんだろうが、この世界だけで我々が幸せになればいいって考えるわけだよ。でも、僕の考えっていうのは、結局、僕はこのわかったことだったりとか、っていことっていうのは、全ての人に、ま、極端な話し、必要なことだと思うわけ、このマーヤ解きだったりとかね、そういう物事の捉え方は必要なことだと思う。その必要なことをそういう思想的な違いとかで、広がらないってことっていうのは、損失じゃない。やっぱり。ということは、どっちが宗教、宗教家の人たちだったりとか、世の中は間違ってるっていうんだよ、絶対。世の中は間違ってて、ここが絶対正しいっていうわけだ、で、僕は思うわけさ、やっぱりその、みんなにも言ってるけどさ、世の中は良いものに溢れているわけ、餃子とか焼肉とか、良いものはいっぱいあるわけよ。だからね、その、そっちを否定して、こっちを肯定するとか、そういうことには意味がないわけ。やっぱり俺たちも美味しい餃子、焼肉食おうぜ、みたいな、そっちの人もこっちの人も関係なく、みんなで楽しくやろうよっていうところが、やっぱり、根本的な僕の理解だから、やっぱりどうしても、なんていうのかな、できるよ、やろうと思ったら、変な集団作ろうと思ったら。笑)簡単だよ、もう、どんどんきて広がるし、1000人、2000人、もう余裕だと思うけど、俺はもうとにかく、笑わして、自虐ネタを言って、それで、もう、ほんとばかなおっさんだ、この人はって、そのバカなおっさんだと思った途端に、あなたたちの方が勝ってるんだから、俺より。わかる?変なおっさんだなって、思った途端に勝ってんだよ。普通、そのー、グルのこととかね、変なおっさんだなと思っちゃいけないんだもん。だって、尊師、尊師って、崇め奉るんだから。あの顔がどんなに変だったとしてもだよ、どっかで思ってんだよ。あの顔は変な顔だなって。思っているけど、そんなことは絶対に思ってもいけない。あ、こんなことを思ってしまったって、これは滝浴びでもして浄化しないといけないとみんな反省するわけだよ、みんな思ったら。でもさ、おかしいだろ。だってさ、例えば、本当にわかってるか、わかってないかは別として、OSHOだったり、クリシュナムルティとか、男前じゃん。俺ね、あの男前って大事だと思うよ、やっぱり。笑。ま、俺、それほどでもないけどさ。男前って大事だと思う。あのね、ちゃんと、その世の中から、崇め奉る人っていうのは、それなりのね、見え方をしてなきゃだめだよ、やっぱり、ね、美しくないと。だからね、そのね、美しくないものを、崇めるっていうのは、俺からするとちょっとおかしいんだから、その時点で。だって、仏像だって見てごらんなさいよ。みんな綺麗な顔してるじゃない。手を合わせて拝みたるなるようなものじゃない、そりゃさ、キリスト像を見たってさ、血流してたり、ちょっとかわいそうだけどさ。でも、キリストだって、どれ見たって、みんな男前だよ。ね、世界中の誰もが惚れるような男じゃんね。キリストみたいなあの顔立ちとかね。かっこいいじゃん、仏像だってそうだよ。誰もが惚れる人だよ。
誰もが惚れるような男前、じゃないとね、やっぱり、説得力ないよね。って、俺は思うの。だから、それこそ80年代までとか、インドで活躍してようなグルたちっていうのは、やっぱインド人っていうのもあるけど、みんなほら、男前じゃん。俺もね、インスタで、俺の師匠の若い頃の写真あげてたでしょ。男前でしょ。だから、そうじゃなきゃって思うわけよ。そのね、まぁでも、そんなこというと差別みたいになっちゃうからさ、綺麗な人は良くて、醜い人はよくないのかって言ったら、そういうことではないわけだけどね。でもやっぱりそのー、自分が無心になって、手を合わせられる相手っていうのは、無心になって、手を合わせらせるような人じゃないと、こんかこのこの、ホクロが気になるとかさ、あそこのホクロ、ホクロがみたいなね。笑。だから、ね、もう、こう、そういう、なんていうのかな。ネガティブさっていうのかな、そういう部分って、一個でもあると、人の心っていうのは、もう純粋に信じられなくなるものなわけよ、普通は。まともな精神状態だったら。
でも、それをやっぱり、覆すのが、洗脳なんだよ。もううんこでも信仰させちゃうみたいな。あの巻きグソとかでも、神様だって思っちゃうようなことって可能にさせるわけ。洗脳っていうのは。でも、普通の人ってうんこに手を合わせないじゃん、巻きグソに。巻きグソに手を合わせないじゃん。それがすごい幸運のグッズだと思って、手を合わせられるようになったら、頭いかれちゃってるってことなんだよ。でも、それを洗脳は可能にするってことなわけ。だから、やっぱりその美しいものを見て、美しいなと思って、美しくないものは美しくないとか、なんか、そういう審議眼があるっていうのは、やっぱりまともなんだよ。機能として。だから、俺説でいくと、グルは美しくなくちゃダメっていう、あのー、のがあるわけ。やっぱりアイドルなんだから、人類にとっては。チベットなんかをみるとはっきりとわかるよ。もう、ラマたちって完全にアイドルだから、あの活仏っていうのは。でも、インドでもそうじゃん。聖者たちってアイドルだもんね。でも、それは、やっぱり娯楽がない時代に、ピンクレディやキャンディーズがいなきゃ、なんとか、グルジとかになるわけよ。で、そういう人たち見て、わぁーーって、みんななるわけだから。やっぱり。ちゃんとアイドルテストしなくちゃダメだよね。で、私はビジュアル系のグルですとかさ、私はボーカル担当ですみたいな。笑)そういう感じで攻めるというかね。とにかく、自然な流れで、洗脳だったりとか、すごく強引な流れを作り出すということだから、それはほんと良くないよね。だから、もっと自然な流れで行くっていうのは、すごく大事なことだからね。それが、そのマーヤだったりとかの話に戻ってね、マーヤとかの話になると、その認識系とエネルギー系があるっていう話をしたでしょ。その認識系というのは、とにかく人のそういう考えだったりとかにうんとうなずいたりとか、同意した途端にその人の考えが入ってきちゃうことなの。だから、でも、それに同意しなかったら、不和が生じるから、それは同意してもいい、どうでもいいことだったら、それで、家帰ってきて、ちゃんとマーヤ解きをして、あ、これあの人の認識が完全に自分に入ってきて、マーヤになっちゃったんだっていう風に理解するだけで取れるから。元の状態に戻るから、それで、そういった形でもって、認識系というのは、他者の考え方だったりとか、他者の思想だったりが入ってくることで、自分の本来のあるがままの姿っていうのが、否定されることになっちゃう。だから、例えば、もう1つの例を出すと、やっぱり、例えば、ラマナマハリシとかここ10年ぐらい、かつてないほど人気が出て、いろんな本が翻訳されたりとかするじゃん、インドの一押しの聖者みたいな感じでさ。この10年ぐらいワーッてなったじゃない、でも、例えばラマナの本をみんな読んで、ハーってなるじゃない、と同時にマーヤにもなってんだよ。でも、まだわかってない人がラマナの本を読んでるから、その教えの部分っていうのもあるから、マーヤになってたとしても、教えが入ってくるだけまだマシなわけ。じゃ、どこがマーヤになってるかと言ったら、人間っていうのは、やっぱり、自分と例えば相手が聖者ラマナであったとしても、ある程度比較ってしてるわけよ。だから、ラマナのようになるためには、ラマナができることを自分もできなきゃいけないっていうマーヤになっちゃうわけ。そうすると、フンドシ一丁で生活しろって話だよ。その時点で断念だよね。日本でフンドシ一丁で暮らしてたらさぁ、補導されるよ。今日、勉強会、先生の勉強会があるから、ちょっと吉祥寺まで行ってきました。フンドシ一丁で行ってきたら、警察に捕まるじゃんねぇ。そんなことでビビっている時点で、ラマナになれないってあるじゃん、やっぱり。そこまで捕まらないじゃなくて、こんなカッコして出歩いたら絶対捕まるに違いないっていうところで恐れていることでダメだって話になっちゃうんだよ。だから、それから、食事に対してもさ、白いご飯に唐辛子だけでご飯食べてるとかさ、ユビニシをつけてご飯を食べてるとかさ、そんなのはとてもじゃないけど、真似できない。ベッドに寝たことなんてない、そんな無理じゃんてなるじゃん。そんなの無理じゃんになったときに、やっぱり自分はラマナにはなれなんだってなっちゃう。それがそのかかっちゃうマーヤが実はすっげえしつこい汚れで、あのミートソースが跳ねたみたいな、ぐらいしつこい汚れなんだよ、これが。だって、結構いい線までいってるにも関わらず、俺のこれがダメだ、あれがダメだっていう否定から結局、本来、もうわかっていい段階にまで、いってるにも関わらず、行けない。だから、僕のところにイオさんっていう人がいたんだけど、来て3年ぐらいでわかったの。あのね、来て3年ぐらいで僕が、もういいじゃん。もう、わかってていいじゃんって、2、3年、困難じゃ、ヤダヤダっていい続けてたわけ。もうわかっているからこれでいいじゃんっていったわけ、いやこんなわかったわかり方じゃ、自分のイメージしてたわかり方と違うから、面白くないからヤダって言ってたわけ。3年ぐらい経った時にある時突然受け入れたんだよ。それを。あ、もう、これでいいかと思った。これでいいかと思ったら、その後、自分が求めていた悟りの段階に、一気にバーって引き上げられたのね。だから、もうわかってんだけど、わかったって認めないことによって、本来はこのわかっているという状態、これくらいのレベルの話をしてんだけども、自分でここまで落としちゃってたということなの。受け入れた途端にここまで一気にグッと上がったっていうそういう面白い例もあるんだよね。だから、やっぱり、その、こう、受け入れることで、そのあったものの力というものが、何倍にも膨れ上がるっていうね。例えば、売れない画家の絵を1枚持っていたとして、こんなんじゃヤダヤダっていってんだけど、その画家がある時死んじゃって、突然何億にもなっちゃったみたいな。ちょっと遠かったですか?笑)ちょっと遠かったですか?笑 ね。まぁだからそんな感じ。遠かったですか、あ、すいませんでしたって言ってんにも関わらず、その後そんな感じとか言ってね、結局ねじ伏せようとしているね。それが認識系のマーヤなの結局。で、エネルギー系マーヤというは別にあって、例えば子供の時だったりとか、今でもそうなんだけ、すっごい怖い思いとか、嫌な思いをした時にその時の感情。経験した感情のエネルギーっていうのが、自分の中に残っちゃうというものがあって。これって、似たような経験をしたりだとか、そういうのがあったときに、バッと浮上してきちゃうっていうのが、エネルギー系のマーヤなわけ。だから、このエネルギー系のマーヤっていうのは、もっとマーヤ解きができるようになってからじゃないと、ちょっと取り組んでいくのはなかなか難しいんだけど。もっと、認識系のマーヤ解きっていうのが、どんどんできるよういなって行った状態で、過去の怖かった出来事にフォーカスをして、御心というのを持ってきて、これは自分にとって、必要だから起こった出来事なんだっていう前提にするわけ。なんか、そういう憂き目にあっちゃったんだ、ではなくて、それは自分を成長させるために神様が何かを理解させるためにわざわざこの現象というのを若い時に経験させたんだっていうところをベースに持ってくる。その目的はなんなのかというのを解いていくわけよ。エネルギー系マーヤの場合というのは、認識じゃないので、内容がひっくりがえっちゃっていることってないのね。だから、マーヤの場合っていうのは、内容がひっくりがえってマーヤになってるわけだよ。だから、本当はすごくポジティブなことなんだけれども、そのネガティブに、マーヤのせいで捉えているというのが認識系のマーヤ。エネルギー系のマーヤっていうのは、もうこれは、ネガティブなの。これをポジティブに変えるには、マーヤ解きじゃないんだよ。マーヤだっていうのは100も承知なんだから。どうしたら、これをエネルギー系のものをポジティブに変えられるかって行ったら、もう御心しかないの。これはどう考えても認識を変えれば楽になるそういう問題じゃないんだよ。マーヤが取れれ楽になるとかではなくて、これはいかに自分にとって必要な、やっぱり、出来事、現象だったとかを受け入れることでポジティブなものに変わる。っていうことなのね。だから、御心を理解しないといけない。そのかわりは、推測もつかない。結局。もしこの出来事が起こってなかったら、自分はこうなってて、こうなってたら、きっとこんなことになっちゃってただろうなと、こういうことがあったから、自分はこういう風にものを考えて、行動を規制するようになったことによって、こういう今の人生を歩んできたわけだから、ということは、この怖い出来事をしたことによって、行動を規制する、規制した結果がここに繋がってくるっていうことが神様がやりたかったことなんだろうなっていうような推測をしていくわけだよ。だから、今、マーヤ解きだったりとか、そういうものを知ることができて、こういう風になってきているのは、ものすごい神様の恩寵だってことがわかるから。そういう風に見ていくと、それの出来事はあってよかったということに変わってくるわけ。それがあったおかげでっていう、考え方に変わってくる。そのやな出来事があったおかげで、今の自分はこういう風にあることができるんだっていう考えに変えていくことが必要になってくるわけ。だから、エネルギー系のマーヤには、やっぱり御心解きというポジティブなアプローチが必要なの。でも、この認識系だったりとか、自分の脳が騙される系っていうのは、とにかく疑って、マーヤだ、マーヤだって疑っていってそれをこう自分から外していくことをしていくっていことなんだよね。で、そういうのが、どんどん経験されていく中で、やっぱり、自分は何もしてないのに、ブワッとマーヤがなくなったりとか、やっぱり、その、あ、御心だって、ものすごいこう今のこの瞬間が必然的なものに思えたりだったとか、そういった経験が人生の中でどんどんどんどん起こってくるように、なってくるわけだよ。で、そういうものがどんどん促進していくと、あとは自動スケジュールになって、どんどんどんどん、いろんなわかるべきことがわかっていくようになってくるから。やっぱり、そういうなんかこう、あの経験というのも、1つの恩寵として捉えていくといい。長ったらしい話になったけど、これでいいですか?

2018/4/26 武蔵野公会堂 改行版

マーヤ時というのは何段階かやっぱりあって。

大まかに分けると、認識系とエネルギー系っていう風に、2種類に分けているんだけど。
認識系というのは、自分の脳の機能がマーヤになっちゃっているということ。
エネルギー系マーヤというのは、トラウマだったりとか感情だったりとかそういうようなものが、セットになっている場合はエネルギーマーヤになることが多くて、例えば、認識系のマーヤになると、どういう症状が出るかというと、まず、当然のことながら、神様はなくなる。
金が全てだとかいつの間にか思ってる。
笑)みたいなね、そういう私の状態になっちゃってる。

原因としては、自分の観念、自分がこれが正解だと思っていることがあるにもかかわらず、それ以外のなんか、他人からのアイデアだったりが入ってきたときに、そうだよね。
って、心の中で思ったりだとか、それに同調しちゃうことで、その自分の考えでない考えが自分の中に入っちゃう。
だから、自分もいや神様が大事なんだって、思っているんだけど、最近ちょっと金に困っているとする。
そういうときに、誰かさ、いやさ、思想だとかなんだかんだって言ったてさ、俺たちはさ、必要なのは金だから、なんていって、ことを言われてさ、あー、ほんと確かにそうだよな。
って思っちゃった、その価値観にそうだよなと思っちゃった途端に、もうそのあれになっちゃってる。
自分では別にその考えにシフトしたつもりはないの。
自分ではシフトしたつもりはないんだけども、それを受け入れた瞬間にその考えっていうのが、自分を支配する力を得ちゃっているってことなのね。

だから、我々は、僕がよくいうのでは、みこころ解きとマーヤ解きっていうのがあるでしょ。
そうすると、マーヤ解きは徹底的な否定なんだよ。
みこころ解きって徹底的な肯定なの。
で、みこころ解きをしているときって言うのは、いかにこの自分に起こっている出来事は必然的かって言うのを自分に落として行くって言う作業だよね。
ここで我々が理解することっていうのは、結局全てが肯定的に捉えられるっていう世界観。
だから受け入れるしかないの。
もはや。
この自分に起こっている出来事。
例えば、ネガティブなことが起こっているとしてもこれは御心だから、しょうがない。
って受け入れる。
ってことがそもそもポジティブなのよ。
捉え方として、そのポジティブな捉え方をしたことによって、物事というのは、ポジティブな方に向かうから。

これは、頑張ってポジティブに向かうために、このネガティブな出来事をネガティブじゃないものに作り変えようとすることは、ネガティブな作用なのね。
っていうのは、ネガティブという風に自分の目に映っているという事は、ネガティブだから、これをポジティブにしたいわけ、だから、これをネガティブなものをポジティブにするためには、こんなことをしなくちゃいけない、こんなことをしなくちゃいけない。
こうしたらどうだろう、ああしたらどうだろうってことをやるわけよ。
という事は、そいつがネガティブだっていうことが変わってないんだよね。
じゃ、こいつをポジティブにするためには、どうすればいいのかって言ったら、これがネガティブだっていう思いを鼻からなくすしかない。
これをどうこうするかじゃなくて、これを受け入れるしかない。
で、これを受け入れることによって、これっていうのが、勝手にポジティブになってくれるの、受け入れたことで。
ネガティブだっていう見方をしているから、いつまでたっても結局ネガティブであって、これをネガティブと捉える限り、自分は拒否し続けるから、これを受け入れた途端に、これがポジティブになるってわけ。

だから、戦っている限り、そこにはネガティブがあるから、いくらこれが改善されていったとしても、それが改善されているってことだから、ネガティブなのは、少しずつ良くなっていってるってことであって、ポジティブになってるわけじゃないわけ。
ところがこのネガティブなものを忘れてしまうと、どうなるかというと、忘れたということによってポジティブになっちゃうっていうことなのね。
だから、その、あのー、根本的な捉え方に問題があるかどうかということになるわけ。

だから、御心解きおいては、これをポジティブ、この出来事をポジティブ、このネガティブな出来事をポジティブに見るためには、やっぱり我々からすると、ちゃんとそれをポジティブに見れるっていう、ちゃんとした、れっきとした、あのー、理由が必要なんだよ。
で、それが御心ってことになるわけ。
それこそ、この世界は、さっき神の作品だって言ったけど、神の作品であって、私はその神の作品の中で、今ここに置かれて、こういう出来事っていうのを神が経験させてるわけだから、だから、これを受け入れるしかないっていう風に、受け入れたときに、このネガティブな現象っていうのは、ネガティブではなくなってくるっていうことなんだよね。

だから、これが御心という、御心解きをやっていく際で必要なこと。
とにかく、絶対肯定の上に成り立ってくる物事の見方っていうこと。
で、マーヤ解きの場合は、常に絶対否定があるの、そこに。
常に全ての出来事っていう、全ての出来事だったり、自分の考えだったり、あらゆるもの、っていうのを、徹底的に否定していく、だから、疑ってかかるっていうことなんだよね。
だから、人が自分にこうこうこうだよね、って言ったときに、そうだよね。
って同意しちゃたら、もうそのマーヤにかかっちゃうわけだから、いや、そんなことはないって、(笑)ところが、そんなことはないって、一々、そんなことはないって、顔や態度に出てたらね、みんなから嫌われちゃうからね、あ、あ、そうだよね。一応さ、相槌はうったりするわけだよ。
マーヤにやられてもいいわけよ、また家に帰ってきて一人になったときに、今日、あいつに相槌打っちゃったから、俺マーヤになっちゃったんだよなって、いうのをちゃんとおさらいしていけばいいわけ。
それで、それだけでマーヤって解けるから。

ね、だから、相手の考えに乗っ取られない、乗っ取られるって、相手の考えにあれしただけで、同調しただけでそのそれが移ってくるってこと。
だから、その効果を逆に利用しているのが、僕だったりとか話のわけなの。
みんなに同調しまくらさせているわけよ、結局、ひどい、ひどい言い方だね。
しまくらさせてるって、どんな島倉千代子かっていう、だから、で、そうそう、そうだそうだ、って同意するじゃない、そうだそうだって、同調するってことは、俺の考えが入るってことなのよ。
自分の意識の中に、で、そうなっていくことが自分の意識が、今までの意識と違う方向性に変わっていくことなんだ。

だから、とにかく、僕がやることっていうのは、納得させることなの。もう、説得屋さんなの。
これで、納得できるように話していくことで、僕の考えが、ああ、なるほどね、とか、そうかそうかとか、思うたんびに、僕の意識っていうのが、ストンて自分の中に入っちゃうわけ、だから、それっていうのは、別な見方をすれば、俺のマーヤを被って、自分がマーヤになったっていう、表現の仕方もできると思うわけよ。
自分の本来のものではないっていう、でも、それが入っていくことによって、その、俺のマーヤに乗っ取られることによって、どんどんどんどん、俺化してくるわけよ、ね、俺化してくるわけ、頭が、それが狙いなわけだよ。結局。

ただ、これはあのー、洗脳とは違うのね。
洗脳というのは、例えば1つのパターン化された映像だったりとか、フレーズだったりとかを繰り返すことによって、相手の潜在意識にある思想だったりとかいうのを埋め込むことで、これ1つの催眠方法なわけね。
で、僕の場合っていうのは、とにかく、あのー、必ずなんていうのかな、こう、親父ギャグみたいなのが入ってくるわけ、で、これがね、面白いのはね、洗脳される人、洗脳する人っていうのは、すごいね、シリアスな空間でやらないと洗脳って起こらない、シリアスな環境下でないと、あのね、笑った途端に自分の素が出ちゃうの。

笑うと。現実に戻る。
ね、だからね、俺、必要以上に笑わすことに命をかけてるわけ。
大事なことを言って笑わすと、その潜在意識にはね、あんまり入んないんだよ。
だからみんな進歩が遅いの。ある意味。
笑)これを俺がもっと閉鎖的な空間で、「私は神です」とかね、なんかそうやってやって、おー、師匠、って感じに、なればもっと、早いかも知んないよ。
笑)ね、ほら、みんな笑ってるでしょ。
この瞬間に、笑っているってことで、その潜在意識からの放出が起こってるから、もう、なんていうの、今までのありがたかった話って、全部なかったことになるの。
ね、これがね、でも、その、僕がこうやって話すことによって、同調すると、その意識的には、かぶっていくわけだよ。
やっぱり、あのー、そのかぶった意識っていうのが、マーヤ解きっていうのを始めていくことに、繋がってくるから、それで、マーヤが解けるように、どんどんどんどんなっていくっていうことなわけよ。
だから、これね、なかなかあの、俺は逆にこの辺のニュアンスだったりとかっていうのは、自分が30代、33とか、それぐらいの時に、あのー、30歳の時に修行をやめて、30歳ぐらいから、この世界に戻ってきたときに、いろんな、どういう手法が、あるのかっていうのをね、勉強した時に。
ま、ヒプノだったりとか、あの催眠術だったりね、そう言ったものっていうのを学ぶ、機会があったわけ。

で、だから、それを学んだからこそ、その、洗脳とかって、卑怯な手段を使わずにどうやったら、俺に惚れさせるかっていう、あー、もう男らしく勝負しようじゃないかって、拳で語り合おうぜ、みたいな、笑、あれになったんだけど、でも、これっていうのは、僕がヒプノとかを多少なりとも勉強してなかったらわかんなかったと思うの。
何かこう、ね、こう、まことしやかな話をしてさ、こうやって、その人に対する、あと、あのー、なんていうんだろう、こう、いろんな脅しを相手にかけるっていう、かけられて、不安になるっていうこと、も、洗脳する1つ、すごく重要なポイントなのね。
あなたはこのまま行くと、こうやって、こうなりますよとか、こうなりますよ。
そのためには、ツボを買いなさいみたいな、やっぱりそういうような手法と混ぜて、いくわけなんだよ。
そういうのっていうのはね、ツボを買いなさいだとかさ、あるじゃない色々、だから、そういうのもそういう、あのー、1つの手法なんだよ。
でもやっぱり、そういうのをどうやって回避できるかっていうのを、逆にそのヒプノだったりを通して、人間の精神構造っていうのをわかっているからこそ、逆を行くっていう、そういう方式を取れるわけ。

結局ね、洗脳していくでしょ。
例えば、生徒とかを洗脳していって、信者が増えたとするじゃん。
あくまでも、洗脳されている集団なので、ハタから見たときに、異様なエネルギーを出すの。
だから、その異様なエネルギーを出す集団になるっていうことは、結局なんか、マイナスじゃん。
それって、おかしい人たちだって、世間から見られるんだから、ね、だから、世間から見たときに、この人たち、超まともだよね、って思われることが一番大事わけ。ね、でしょ、ね。
でね、あのー、俺、よく言われるんだよ、この。
**の人がこの会の人をみる機会っていうのが、あるわけだよね。
例えばそのリトリートとか、そういうのやったりするときにペンションのオーナーだったりとか、そういうような人たち、一般の人たちとかかわるじゃん、その一般の人たちと関わったときに、自分のほら、宿を貸切とか、貸すわけだから、やっぱりどういう集団に貸すのかっていうのだったりとか、すごく、もう彼らからした大事なことになるわけだよね。
オーナー側からすると、そうするとね、やっぱり、今までいろんなところでやってきたけどね、あのー、すごく健全な集団に捉えられてるみたい。
なんか釣り仲間でも集まったんですか。
これから、ワカサギ釣りですか、みたいな。
なんかね、なんかそれぐらいの感じ、だから、いいのよ。

なんかこう、瞑想したりさ、怪しいことをなんかオームとか言ったりさ、なんか、そういうようなことをする人たちにこう見られてないっていうところがね、そこが1つのポイントだと思う。
いかに社会との軋轢をなくすかってことが大事なの。
ほとんどの宗教家の人たちっていうのは、自分たちのワールドを作って、その中にこう信者たちを作って、社会から軽蔑されようが、なんだろうが、この世界だけで我々が幸せになればいいって考えるわけだよ。
でも、僕の考えっていうのは、結局、僕はこのわかったことだったりとか、っていことっていうのは、全ての人に、ま、極端な話し、必要なことだと思うわけ、このマーヤ解きだったりとかね、そういう物事の捉え方は必要なことだと思う。
その必要なことをそういう思想的な違いとかで、広がらないってことっていうのは、損失じゃない。やっぱり。
ということは、どっちが宗教、宗教家の人たちだったりとか、世の中は間違ってるっていうんだよ、絶対。
世の中は間違ってて、ここが絶対正しいっていうわけだ、で、僕は思うわけさ、やっぱりその、みんなにも言ってるけどさ、世の中は良いものに溢れているわけ、餃子とか焼肉とか、良いものはいっぱいあるわけよ。
だからね、その、そっちを否定して、こっちを肯定するとか、そういうことには意味がないわけ。
やっぱり俺たちも美味しい餃子、焼肉食おうぜ、みたいな、そっちの人もこっちの人も関係なく、みんなで楽しくやろうよっていうところが、やっぱり、根本的な僕の理解だから、やっぱりどうしても、なんていうのかな、できるよ、やろうと思ったら、変な集団作ろうと思ったら。笑)
簡単だよ、もう、どんどんきて広がるし、1000人、2000人、もう余裕だと思うけど、俺はもうとにかく、笑わして、自虐ネタを言って、それで、もう、ほんとばかなおっさんだ、この人はって、そのバカなおっさんだと思った途端に、あなたたちの方が勝ってるんだから、俺より。

わかる?変なおっさんだなって、思った途端に勝ってんだよ。
普通、そのー、グルのこととかね、変なおっさんだなと思っちゃいけないんだもん。
だって、尊師、尊師って、崇め奉るんだから。
あの顔がどんなに変だったとしてもだよ、どっかで思ってんだよ。
あの顔は変な顔だなって。思っているけど、そんなことは絶対に思ってもいけない。
あ、こんなことを思ってしまったって、これは滝浴びでもして浄化しないといけないとみんな反省するわけだよ、みんな思ったら。
でもさ、おかしいだろ。
だってさ、例えば、本当にわかってるか、わかってないかは別として、OSHOだったり、クリシュナムルティとか、男前じゃん。

俺ね、あの男前って大事だと思うよ、やっぱり。(笑
ま、俺、それほどでもないけどさ。男前って大事だと思う。
あのね、ちゃんと、その世の中から、崇め奉る人っていうのは、それなりのね、見え方をしてなきゃだめだよ、やっぱり、ね、美しくないと。
だからね、そのね、美しくないものを、崇めるっていうのは、俺からするとちょっとおかしいんだから、その時点で。だって、仏像だって見てごらんなさいよ。みんな綺麗な顔してるじゃない。
手を合わせて拝みたるなるようなものじゃない、そりゃさ、キリスト像を見たってさ、血流してたり、ちょっとかわいそうだけどさ。
でも、キリストだって、どれ見たって、みんな男前だよ。
ね、世界中の誰もが惚れるような男じゃんね。
キリストみたいなあの顔立ちとかね。かっこいいじゃん、仏像だってそうだよ。
誰もが惚れる人だよ。

誰もが惚れるような男前、じゃないとね、やっぱり、説得力ないよね。って、俺は思うの。
だから、それこそ80年代までとか、インドで活躍してようなグルたちっていうのは、やっぱインド人っていうのもあるけど、みんなほら、男前じゃん。
俺もね、インスタで、俺の師匠の若い頃の写真あげてたでしょ。男前でしょ。
だから、そうじゃなきゃって思うわけよ。
そのね、まぁでも、そんなこというと差別みたいになっちゃうからさ、綺麗な人は良くて、醜い人はよくないのかって言ったら、そういうことではないわけだけどね。
でもやっぱりそのー、自分が無心になって、手を合わせられる相手っていうのは、無心になって、手を合わせらせるような人じゃないと、こんかこのこの、ホクロが気になるとかさ、あそこのホクロ、ホクロがみたいなね。(笑
だから、ね、もう、こう、そういう、なんていうのかな。
ネガティブさっていうのかな、そういう部分って、一個でもあると、人の心っていうのは、もう純粋に信じられなくなるものなわけよ、普通は。
まともな精神状態だったら。

でも、それをやっぱり、覆すのが、洗脳なんだよ。もううんこでも信仰させちゃうみたいな。
あの巻きグソとかでも、神様だって思っちゃうようなことって可能にさせるわけ。洗脳っていうのは。
でも、普通の人ってうんこに手を合わせないじゃん、巻きグソに。巻きグソに手を合わせないじゃん。
それがすごい幸運のグッズだと思って、手を合わせられるようになったら、頭いかれちゃってるってことなんだよ。
でも、それを洗脳は可能にするってことなわけ。

だから、やっぱりその美しいものを見て、美しいなと思って、美しくないものは美しくないとか、なんか、そういう審議眼があるっていうのは、やっぱりまともなんだよ。機能として。
だから、俺説でいくと、グルは美しくなくちゃダメっていう、あのー、のがあるわけ。
やっぱりアイドルなんだから、人類にとっては。
チベットなんかをみるとはっきりとわかるよ。
もう、ラマたちって完全にアイドルだから、あの活仏っていうのは。
でも、インドでもそうじゃん。
聖者たちってアイドルだもんね。
でも、それは、やっぱり娯楽がない時代に、ピンクレディやキャンディーズがいなきゃ、なんとか、グルジとかになるわけよ。
で、そういう人たち見て、わぁーーって、みんななるわけだから。やっぱり。
ちゃんとアイドルテストしなくちゃダメだよね。
で、私はビジュアル系のグルですとかさ、私はボーカル担当ですみたいな。笑)そういう感じで攻めるというかね。

とにかく、自然な流れで、洗脳だったりとか、すごく強引な流れを作り出すということだから、それはほんと良くないよね。
だから、もっと自然な流れで行くっていうのは、すごく大事なことだからね。
それが、そのマーヤだったりとかの話に戻ってね、マーヤとかの話になると、その認識系とエネルギー系があるっていう話をしたでしょ。
その認識系というのは、とにかく人のそういう考えだったりとかにうんとうなずいたりとか、同意した途端にその人の考えが入ってきちゃうことなの。
だから、でも、それに同意しなかったら、不和が生じるから、それは同意してもいい、どうでもいいことだったら、それで、家帰ってきて、ちゃんとマーヤ解きをして、あ、これあの人の認識が完全に自分に入ってきて、マーヤになっちゃったんだっていう風に理解するだけで取れるから。

元の状態に戻るから、それで、そういった形でもって、認識系というのは、他者の考え方だったりとか、他者の思想だったりが入ってくることで、自分の本来のあるがままの姿っていうのが、否定されることになっちゃう。
だから、例えば、もう1つの例を出すと、やっぱり、例えば、ラマナマハリシとかここ10年ぐらい、かつてないほど人気が出て、いろんな本が翻訳されたりとかするじゃん、インドの一押しの聖者みたいな感じでさ。
この10年ぐらいワーッてなったじゃない、でも、例えばラマナの本をみんな読んで、ハーってなるじゃない、と同時にマーヤにもなってんだよ。
でも、まだわかってない人がラマナの本を読んでるから、その教えの部分っていうのもあるから、マーヤになってたとしても、教えが入ってくるだけまだマシなわけ。
じゃ、どこがマーヤになってるかと言ったら、人間っていうのは、やっぱり、自分と例えば相手が聖者ラマナであったとしても、ある程度比較ってしてるわけよ。

だから、ラマナのようになるためには、ラマナができることを自分もできなきゃいけないっていうマーヤになっちゃうわけ。
そうすると、フンドシ一丁で生活しろって話だよ。その時点で断念だよね。
日本でフンドシ一丁で暮らしてたらさぁ、補導されるよ。
今日、勉強会、先生の勉強会があるから、ちょっと吉祥寺まで行ってきました。
フンドシ一丁で行ってきたら、警察に捕まるじゃんねぇ。
そんなことでビビっている時点で、ラマナになれないってあるじゃん、やっぱり。
そこまで捕まらないじゃなくて、こんなカッコして出歩いたら絶対捕まるに違いないっていうところで恐れていることでダメだって話になっちゃうんだよ。
だから、それから、食事に対してもさ、白いご飯に唐辛子だけでご飯食べてるとかさ、ユビニシをつけてご飯を食べてるとかさ、そんなのはとてもじゃないけど、真似できない。
ベッドに寝たことなんてない、そんな無理じゃんてなるじゃん。
そんなの無理じゃんになったときに、やっぱり自分はラマナにはなれなんだってなっちゃう。
それがそのかかっちゃうマーヤが実はすっげえしつこい汚れで、あのミートソースが跳ねたみたいな、ぐらいしつこい汚れなんだよ、これが。
だって、結構いい線までいってるにも関わらず、俺のこれがダメだ、あれがダメだっていう否定から結局、本来、もうわかっていい段階にまで、いってるにも関わらず、行けない。

だから、僕のところにイオさんっていう人がいたんだけど、来て3年ぐらいでわかったの。
あのね、来て3年ぐらいで僕が、もういいじゃん。
もう、わかってていいじゃんって、2、3年、困難じゃ、ヤダヤダっていい続けてたわけ。
もうわかっているからこれでいいじゃんっていったわけ、いやこんなわかったわかり方じゃ、自分のイメージしてたわかり方と違うから、面白くないからヤダって言ってたわけ。
3年ぐらい経った時にある時突然受け入れたんだよ。それを。あ、もう、これでいいかと思った。
これでいいかと思ったら、その後、自分が求めていた悟りの段階に、一気にバーって引き上げられたのね。
だから、もうわかってんだけど、わかったって認めないことによって、本来はこのわかっているという状態、これくらいのレベルの話をしてんだけども、自分でここまで落としちゃってたということなの。
受け入れた途端にここまで一気にグッと上がったっていうそういう面白い例もあるんだよね。
だから、やっぱり、その、こう、受け入れることで、そのあったものの力というものが、何倍にも膨れ上がるっていうね。

例えば、売れない画家の絵を1枚持っていたとして、こんなんじゃヤダヤダっていってんだけど、その画家がある時死んじゃって、突然何億にもなっちゃったみたいな。
ちょっと遠かったですか?(笑 ちょっと遠かったですか?(笑 ね。まぁだからそんな感じ。
遠かったですか、あ、すいませんでしたって言ってんにも関わらず、その後そんな感じとか言ってね、結局ねじ伏せようとしているね。
それが認識系のマーヤなの結局。

で、エネルギー系マーヤというは別にあって、例えば子供の時だったりとか、今でもそうなんだけ、すっごい怖い思いとか、嫌な思いをした時にその時の感情。
経験した感情のエネルギーっていうのが、自分の中に残っちゃうというものがあって。
これって、似たような経験をしたりだとか、そういうのがあったときに、バッと浮上してきちゃうっていうのが、エネルギー系のマーヤなわけ。
だから、このエネルギー系のマーヤっていうのは、もっとマーヤ解きができるようになってからじゃないと、ちょっと取り組んでいくのはなかなか難しいんだけど。
もっと、認識系のマーヤ解きっていうのが、どんどんできるよういなって行った状態で、過去の怖かった出来事にフォーカスをして、御心というのを持ってきて、これは自分にとって、必要だから起こった出来事なんだっていう前提にするわけ。
なんか、そういう憂き目にあっちゃったんだ、ではなくて、それは自分を成長させるために神様が何かを理解させるためにわざわざこの現象というのを若い時に経験させたんだっていうところをベースに持ってくる。
その目的はなんなのかというのを解いていくわけよ。
エネルギー系マーヤの場合というのは、認識じゃないので、内容がひっくりがえっちゃっていることってないのね。

だから、マーヤの場合っていうのは、内容がひっくりがえってマーヤになってるわけだよ。
だから、本当はすごくポジティブなことなんだけれども、そのネガティブに、マーヤのせいで捉えているというのが認識系のマーヤ。
エネルギー系のマーヤっていうのは、もうこれは、ネガティブなの。
これをポジティブに変えるには、マーヤ解きじゃないんだよ。
マーヤだっていうのは100も承知なんだから。
どうしたら、これをエネルギー系のものをポジティブに変えられるかって行ったら、もう御心しかないの。
これはどう考えても認識を変えれば楽になるそういう問題じゃないんだよ。
マーヤが取れれ楽になるとかではなくて、これはいかに自分にとって必要な、やっぱり、出来事、現象だったとかを受け入れることでポジティブなものに変わる。っていうことなのね。

だから、御心を理解しないといけない。そのかわりは、推測もつかない。結局。
もしこの出来事が起こってなかったら、自分はこうなってて、こうなってたら、きっとこんなことになっちゃってただろうなと、こういうことがあったから、自分はこういう風にものを考えて、行動を規制するようになったことによって、こういう今の人生を歩んできたわけだから、ということは、この怖い出来事をしたことによって、行動を規制する、規制した結果がここに繋がってくるっていうことが神様がやりたかったことなんだろうなっていうような推測をしていくわけだよ。

だから、今、マーヤ解きだったりとか、そういうものを知ることができて、こういう風になってきているのは、ものすごい神様の恩寵だってことがわかるから。
そういう風に見ていくと、それの出来事はあってよかったということに変わってくるわけ。
それがあったおかげでっていう、考え方に変わってくる。
そのやな出来事があったおかげで、今の自分はこういう風にあることができるんだっていう考えに変えていくことが必要になってくるわけ。
だから、エネルギー系のマーヤには、やっぱり御心解きというポジティブなアプローチが必要なの。
でも、この認識系だったりとか、自分の脳が騙される系っていうのは、とにかく疑って、マーヤだ、マーヤだって疑っていってそれをこう自分から外していくことをしていくっていことなんだよね。
で、そういうのが、どんどん経験されていく中で、やっぱり、自分は何もしてないのに、ブワッとマーヤがなくなったりとか、やっぱり、その、あ、御心だって、ものすごいこう今のこの瞬間が必然的なものに思えたりだったとか、そういった経験が人生の中でどんどんどんどん起こってくるように、なってくるわけだよ。
で、そういうものがどんどん促進していくと、あとは自動スケジュールになって、どんどんどんどん、いろんなわかるべきことがわかっていくようになってくるから。
やっぱり、そういうなんかこう、あの経験というのも、1つの恩寵として捉えていくといい。
長ったらしい話になったけど、これでいいですか?

●勉強会

先史以来、数々の聖賢たちが説き続けてきた真理のことばを題材に、心豊かに現代を生き抜くには、人とは何か、生きるとは何かを見つめます。
聴聞によって開かれた意識は瞑想によってその叡智が意識の深いところまで浸透していきます。
是非、体験してみて下さい。初めて参加される方はご連絡下さい。

《内容》
フリートーク・講話:80分
休憩:15分
談話・質疑応答:80分

《参加費用》
お一人さま 6000円
*当日、会場内にて集金致します。

《会場》
日時、場所は変更になる場合がございますので、
”スケジュール”をご参照の上、お間違いのないようにいらして下さい 。


*会場の受付にて名前を書いて下さい。
*お話の録音などはご遠慮ください。
*初めて参加する方はメールにてご連絡下さい。

●東京勉強会【渋谷】

第二日曜日
渋谷勤労福祉会館にて
時間:13:30〜16:30

●東京勉強会【渋谷】

第四日曜日
渋谷勤労福祉会館にて 
時間:13:30〜16:30

●大阪勉強会

毎月・ 第二もしくは、第三日曜日(4月・10月を除く)
KOKO PLAZAにて 
時間:13:00〜16:00
*大阪みこころ会のサイト:当日、天候などによる中止、時間変更などの告知はこちらをご参照下さい。 サイトはこちらから→

*先生の交通費+会場費別→参加者人数で割って頂きます。(1000円〜3000円程度)